『風薫る』は初夏を表す季語!
私の知り合いの話です↓
退職してから、時間を持て余していた。
戦争が終わって、しばらく役者の真似事をした後、中学の美術教師を25年務めた。
芝居が好きだったし、小説を書くことも好きだった。
だから退職すれば楽しい日々が始まると思っていたし、
実際にかなり充実している。
ここ、小諸の山荘は妻の実家近くに退職金で建てたもので
暖かい季節にしか来ない。
妻と碁を打ったり詰将棋をしたり、食事を作ったりと日々やることはたくさんある。
長くここに滞在する時は、油絵を製作しようと心がけている。
この先どれくらい生きられるかわからないが、目標は81歳。
やりたいことだけやっていきたいと考えている。
先日芝居の台本を書いている時に、少し興味を持ったことがあった。
俳句である。
劇中で句を詠むところを作ろうとしたら
自分が意外に何も知らないことに気がついた。
絵も描く、文章も書く、そんな自分に全く俳句は関わりがなかったと思い、
有り余る時間を利用して新しい趣味にしようかと思ったのがきっかけだ。
以来趣味の一つとして取り入れている。
そんなある日。
その週は孫たちが来ている週だった。
基本的に息子一家は離れの部屋で生活することになっているので
孫たちは昼間の間しか母屋には来ない。
しかもおばあちゃま、おばあちゃまと、妻に懐いているので私のところにはあまり近寄ってこない。
子供というのは可愛いが騒々しくて疲れるのには違いない。
そんな騒々しい孫たちだが、一人だけ変わったのがいる。
長男夫婦の一番上の女の子だが、他の兄弟たちが外を転げ回っている中
一人リビングでごろごろと本を読んでいたり
ぼんやりと考え事、というか想像の世界に行ってしまっているような子だ。
私の蔵書を物色したりしているが、まぁまだ小学生には無理だろう。
絵を描かせると、私の血は全く流れていないようで下手くそだ。
でも、私の画集などは熱心に眺めていたりするので、ある種のセンスはあるのかもしれない。
そんな孫が、私が俳句を作っている和室に入ってきた。
しばらくごろごろと本を読んでいたが
急に私の手元が気になったようで覗き込んできた。
いうことは、すでに学校で習っているようで
ぶつぶつと五七五のテンポをつけて読んでいる。
一緒にやるかと聞くと、何も思い浮かばないからいい。と答える。
それならば、とそのままほったらかして没頭していると、
この季語は何?とかこれなんて読むの?とか質問をしだした。
袷や五月雨、確かに難しい漢字ではある。
そんな中「薫風」はなんて読むの?と聞いてきた。
「くんぷうだよ、風薫ると使うこともできるよ」と教えると、季語はいつかと聞いてた。
風が吹くくらいだといつが季語なのかわかりにくいようだ。
夏だと教えるとびっくりした顔をしていた。
どういう意味なの?どんな匂い?と聞かれるとさすがに焦ってきた。
季語が夏であることと、音の響きで選んだだけで特に意味がないからだ。
トイレに立つふりをして歳時記を確かめることにした。
ページを探すと「風薫る」は元々は漢語の「薫風」からきていて
「花の香りを運んでくる春の風」という意味だったが
それが「風薫る」という和語になって「初夏の若葉の中を通ってくる爽やかな風」
という意味に変化したとかいてある。
私はすでに初夏の若葉のイメージで使っていたが、花の香りが元になっていたとは知らなかった。
最初から知っていたような顔で、孫に講釈をたれてやった。
孫は素直にへぇぇ。と行った後、部屋を出ていき
母親のスマートフォンとやらを手にして帰ってきた。
何やら自分でも調べるらしい。便利なものがあるものだ。
『風薫る』は五月のことを詠んだ句が多い!
孫が小さな機械に夢中になりだしたので、私も歳時記や手持ちの俳句の本を少し読むことにした。
さっきもあったように「風薫る」が元は花の香りだったのだとしたら、やはりそれは春の季語になっても良さそうだが、若葉の風に変化しているので俳句も5月を感じさせるものが多い。
薫風や 花をはりたる 牡丹園 日野草城
牡丹は4月から6月が開花時期の花だ。すくすくと伸びて立派な花をつけたところに
5月の爽やかな風が通り、その風を浴びる。というのはなんとも気持ちが良さそうだ。
はまゆふの まだ咲かぬ風 薫りけり 久保田万太郎
はまゆう(浜木綿)は海岸近くに植えられる7月から9月に花を咲かせるものだ。
ヒガンバナ科の多年草。
この花が咲くにはまだ間がある5月。
まだ花を咲かせるまえの若々しい緑にまたこの5月の風が通り抜ける。
花びらに 風薫りては 散らんとす 夏目漱石
これはロマンティックな夏目漱石らしい句である。という感想に尽きる。
「愛している」を「月が綺麗ですね」と表現した夏目漱石そのもの。
せっかく美しい花を散らんとす、で散らそうとすることで、さらに美しさを強調している。
素晴らしいとは思うが日本男児の私にはかけない。
11歳の孫はロマンチックと思うだろうか。
私はこの信州の肌寒い5月が好きだ。いわゆる爽やかな若葉の風、とは少し違うが
どのような暑い地域、寒い地域に住んでいたとしても5月の風というものは
人々を清々しい気持ちにさせるものだろう。
俳句に興味を持ったような孫を句会に誘ってみた。
付いてくるかどうかはわからないが、
こんな小さな子供にも何かを感じさせる俳句というものは
続けていくに値する趣味なのかもしれない。
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