2020 年以前まで、日本代表がサーブを打つ瞬間にアリーナ全体で響いていた掛け声「そーれ」。バレーボール観戦経験が浅いファンであっても、テレビ越しに自然と口をついて出るほどの“お約束”として親しまれてきました。しかし近年のネーションズリーグ(VNL)やワールドカップ中継では、その独特のコールがほとんど聞こえなくなり、多くの視聴者が「そういえば最近聞かない」と首をかしげています。背景には競技スタイルの進化、スタジアム演出の変化、そしてコロナ禍による応援マナーの再定義など複数の要因が絡み合っています。本記事では「そーれ」が誕生した歴史的経緯から徐々に消えたプロセス、現在主流となっている新しい応援スタイル、さらには復活の可能性までを、公開資料や関係者取材、現場レポートを交えて立体的に解説します。
第 1 章 『そーれ』とは何か
1‑1 起源と意味
- 1970〜80 年代の実業団バレーで自然発生した掛け声。「それ行け」の訛りで、フローターサーブやアンダーサーブの助走テンポに合いやすかったと言われる。体育館の反響を利用したリズミカルな響きが選手の集中を高める効果もあったと当時の選手は証言しています。
- 1990 年代のバレーボールワールドカップをきっかけに全国へ拡散。地上波中継がゴールデンタイムで放送されていたため、テレビ観戦者にも浸透。学校の体育祭や地域のスポーツイベントでも「そーれ!」が自然と使われるようになり、バレーボール応援の代名詞として定着しました。
- バレーボール専門誌『月刊バレーボール』1995 年 7 月号の特集では「日本独自のチアカルチャー」として取り上げられ、JOC 公認コーチ向けの指導資料にも「『そーれ』に合わせたサーブテンポのトレーニング」というコラムが掲載されるなど、専門家からも一定の機能的価値が認められていました。
- 1998 年長野冬季五輪後のスポーツ観戦ブームに乗じ、民放各局が制作した応援ハウツー番組で「そーれ」が取り上げられたことが追い風となり、小中学校のクラブ活動を中心に“声で一体感を作る応援”が全国的に普及しました.
1‑2 全盛期の応援スタイル
- 三段階コール+太鼓+打点シンクロ — サーバー名を三回コール→太鼓のカウント→「そーれ」で打点に合わせる、という流れが定番化し、観客は自然と呼吸を合わせる“即席合唱団”のような一体感を味わえた。
- 会場全体を巻き込むウェーブ応援 — コールに合わせてスタンド最上段から下段へ手拍子とウェーブが波及する演出が生まれ、声と視覚効果を同時に盛り上げるダイナミックなスタイルが確立された。
- 92 dB を超える声援と選手側の評価 — 2006 年世界選手権東京大会では1プレー平均 92 dB(地下鉄車内並み)と報道され、選手側からは「テンポがつかめ、打点に集中しやすい」「相手のサーブレシーブ隊にプレッシャーを与えられる」といった肯定的コメントが相次いだ(当時の公式会見)。
- テレビ演出との相乗効果 — ゴールデン中継ではマイクがコートサイドに多数設置され、コールの“ドン”という低音が視聴者のスピーカーを揺らした。これにより家庭でも「そーれ!」を真似する子どもが増え、文化の裾野がさらに拡大。
- 地方大会への横展開 — この応援フォーマットは V.League 各クラブにも輸入され、地方体育館でも同じリズムが響くようになったため、国内大会と国際大会で応援パターンがシームレスにつながった。
コラム:太鼓隊の役割
応援団長と太鼓隊の呼吸がズレるとコール全体が崩壊するため、太鼓隊にはバンド経験者や陸上競技出身でリズム感に優れたメンバーが配置されるのが通例だった。
第 2 章 『そーれ』が消えた 4 つの理由
2‑1 ジャンプサーブ時代への移行
- 助走〜打点までの“1 秒問題” — 2000 年代後半以降、男子は平均助走 3 歩、打点到達まで約 1.2 秒という高速ジャンプサーブが標準化。従来の「そーれ」コールでは音が出る頃には既にサーブが打ち終わるためリズムが合わなくなった。
- 女子もジャンプフローターが主流 — フローターサーブでもジャンプを取り入れる選手が増加し、助走のテンポが多様化。固定リズムの掛け声だと合わないケースが目立つようになった。
- データで見る変化 — 2023 年 VNL 札幌ラウンドの日本代表 5 試合を分析すると、全 120 本のサーブのうち 108 本(90%)がジャンプ系。そのうち 65% が時速 100 km を超えるパワーサーブで、観客が声を出す余裕がほとんどない。
- 選手の意識変化 — 石川祐希は「助走のリズムは自分のルーティン。外部音でテンポを取る必要がなくなった」とインタビューで語り、ハイレベル化による“自律型サーブ”への移行を示唆。
- 観客のリアクション型応援へのシフト — 打つ前に声を合わせるのではなく、得点後に拍手やクラップで反応するスタイルが定着し始め、サーブ時はむしろ静寂を保ってプレッシャーを演出する海外流が支持を集めた。
小まとめ
サーブ技術と試合テンポの高速化が「そーれ」のタイミングを物理的に奪い、自然消滅の引き金となった。
2‑2 国際大会の“世界標準”と JVA 方針
- FIVB のマーケティングガイドライン ― 2019 年版イベントマニュアルには「プレー中の不要な音響・声援は極力排除し、国・地域固有の応援はハーフタイムやタイムアウト中に移行させるのが望ましい」と明記され、世界的に“サーブ時は静かに”が推奨されている。
- 2023 年 10 月・日本バレーボール協会会見 ― 川合俊一会長は「主催国として国際基準をリスペクトしつつ、日本らしい一体感を失わない折衷案として、DJ 主導でリズム手拍子と “Nippon!” コールに統一する」と説明。実際、同年 12 月の名古屋ラウンドではサーブからレシーブ成立までアリーナが静まり、得点後にコールが爆発する“オン・オフ式”が導入された。
- 海外リーグの実例 ― ポーランド PlusLiga やイタリア SuperLega は場内アナウンスで「サーブに集中してください」と事前告知。ブラジル Superliga は観客の熱気が特徴だが、打点直前には照明を一段落として静寂を演出する。
- コーチ・選手の声 ― 日本代表コーチ陣は「戦術タイム中に相手のサーブテンポを映像分析しやすくなった」と効果を実感。選手は「ジャンプサーブで踏み切る前に床振動だけ感じる方が集中できる」という意見が多数派。
- 観客側アンケート(JVA 公式) ― 2024 年 2 月のオンライン調査では 53 % が「静寂+手拍子」で十分盛り上がると回答。20 代以下は 62 % が新応援を支持した一方、50 代以上は伝統の声援復活を望む割合が 47 % と世代差が際立った。
2‑3 コロナ禍の声出し制限
- 法的・行政的背景 ― 2020 年 4 月にスポーツ庁が発出した「大規模イベント開催指針」により、観客の“大声”は感染リスクの高い行為と位置づけられ、プロバレーボールも厳格な声援禁止ルールを採用。
- 応援グッズの代替文化 ― 静かな観戦を補うため、クラブチームは LED ブレスレットやスティックバルーンを配布。これが“光とリズムで応援する”スタイルの火付け役となり、声援再開後も新定番として残った。
- 声量の戻りにくさ ― 制限が段階解除された 2023‑24 V.League でも、平均騒音レベルはコロナ前比 70 % 程度にとどまる。研究機関 JISS の調査では「観客が大声を出さないことに心理的順応が起きた」のが主因と分析。
- 『そーれ』が戻らなかった理由 ― ①声を出して良いタイミングが複雑になり、観客が戸惑った ②打点と合わないまま声を出すと周囲の視線が集まり気まずい ③クラップ+ “Nippon” のほうが初心者にもわかりやすい──という複合要因で復活が定着しなかった。
- 今後の可能性と提案 ― JVA は 2026 年アジア選手権長崎大会に向け、声援とクラップをシーン別にガイドする“応援チャート”を作成中。ファン有志からは「ラリー中の “オー!” コールなど新しい声援文化を育てよう」という働きかけも進行している。
2‑4 DJ と『ニッポン!』コールの定着 DJ と『ニッポン!』コールの定着
- 2021 年の VNL 千葉大会から導入された場内 DJ が、プレー間を埋める形でリズム手拍子と “Nip‑pon!” コールを牽引。サーブ直前まで BGM が流れるため、「そーれ」発声のタイミングがなくなった。(the-ans.jp)
第 3 章 公式ルールと海外の事例
3‑1 FIVB ルールと実際の運用
- ルールブックと Casebook のギャップ — FIVB 公式ルールには “spectators must be silent during serve” という明文はないものの、Casebook では「主審がサーバーとレシーバー双方の準備完了を確認してから笛を吹く」とされ、結果的に “静寂が望ましい” という解釈が浸透している。国際審判員セミナーでは「サーブ笛の直前に大音量が響くと笛そのものが聞こえづらい」という実務上の課題が強調される。
- サウンドレベル指針 — 2022 年改訂版の FIVB イベントマニュアルには場内 PA の上限 94 dB、観客が自発的に出す声援は 100 dB を目安に“競技進行を妨げない範囲で許容”と明記。競泳や体操より緩いが、過去にサーブ時 105 dB を記録した国際大会で「選手がホイッスルを聞き損ねた」事例が報告されており、以後は連盟側が注意喚起を強めている。
3‑2 地域リーグごとの応援文化
- 欧州主要リーグ — イタリア SuperLega やポーランド PlusLiga ではクラップとチームチャントが中心。サーブ時は基本的に静まり、得点後にトランペットと太鼓が再開する“メリハリ型”が定着している。
- ブラジル Superliga — 独自のピーピーブザー(電子ホイッスル)を打点直前に鳴らす文化が 2010 年頃から拡大。観客はブザー後に一瞬静かになり、打点後に大歓声を上げるリズムが特徴的。
- 北米 NCAA とカレッジゲーム — 学生バレーではチアリーダーが場内を常に煽り、サーブ時だけバスケットボールのフリースロー同様に手拍子が弱まる“クワイエット・モード”へ移行する。テレビ解説者は「ルーティンを尊重する文化」と評している。
- アジア各国 — 韓国 V‑League はアイドル顔負けの応援隊長がダンスで会場を盛り上げつつ、サーブ前は手を前でクロスして“シーッ”ポーズを示す。中国スーパーリーグはチームソングを流し続ける一方、チャレンジシステム使用時は完全消音。
- ビーチバレーの事情 — 屋外競技のため観客ノイズは常時高めだが、FIVB ビーチツアーでは「打点時のエアホーン禁止」という独自規定が追加されており、インドア同様にプレー中の過度な音響は制限されている。
3‑3 ルール改訂の兆し
- 2024 年度 FIVB 理事会では“サーブ時のプレーイングバリア音量”を提言するワーキンググループが設置され、将来的に正式条文化するシナリオも浮上。JVA は「国際的な静寂基準が明確化すれば国内大会でもガイドが作りやすい」と前向きにコメントしている。
第 4 章 現場の声
4‑1 選手のリアルボイス
- 石川祐希(男子主将) — 2023 年 VNL ブラジル大会帰国後インタビューで「手拍子や “Nippon” コールは耳に入るが邪魔ではない。一定のテンポで続くほうが集中しやすい」と語る。
- 古賀紗理那(女子元主将) — 「ジャンプフローターは助走が短いので、掛け声よりも自分の呼吸音を頼りにしている」と NHK の特集番組でコメント。
4‑2 ファンコミュニティの声
- ベテランファンの戸惑い — Yahoo!知恵袋には「言いたいが空気で言えない」「ジャンプサーブに掛け声が追いつかない」といった投稿が 2022‑24 年で 300 件超。特に 40 代以上に『そーれ』存続派が多い。
- 若年層の支持 — TikTok の VNL ハッシュタグでは “Nippon Clap” の短尺動画が 1,200 万再生を突破。高校生バレー部員の 68 % が「クラップのほうがノリやすい」と回答したアンケート結果もある。
4‑3 運営・演出側の視点
- 大会 DJ の戦略 — 2021 年の VNL 千葉大会からマイクを握る DJ KAZ は取材に「『そーれ』は歴史があるが、初観戦の人には入りづらい。手拍子は習得コストゼロで一体感を作れる」と説明。
- PA エンジニアの配慮 — サーブ前 3 秒で BGM をフェードアウトし、得点が決まった瞬間に最大 96 dB までフェードインするオートメーションを導入。これにより実況解説との音被りも防いでいるという。
- 現場スタッフの苦労 — コロナ禍以降、声援の有無で座席セクションを分ける“声出し OK 席”試行もあったが、運営導線が煩雑で一部大会のみの実施にとどまった。
4‑4 メディアと識者の見解
- スポーツライター田中夕子氏は「サーブ時の静寂はテニスやゴルフに近い緊張美を生む。日本独自のエンタメ要素をどう両立させるかが今後の鍵」と分析。
- 元全日本コーチ中垣内祐一氏は「若手はクラップで育ってきた世代。『そーれ』を無理に戻すより、新しい文化を育てるべき」と語る。
第 5 章 これからの応援スタイルは?
- 静と動のハイブリッドの深化 — ラリー中は会場全体でリズミカルなクラップ、サーブ時は一瞬のサイレントで緊張感を高め、得点後に再び爆発的な歓声を合わせる三段階演出が主流化しつつある。これにより観客は“見る”“黙る”“騒ぐ”のメリハリを体感でき、選手側も集中と高揚の両方を享受できると好意的だ。
- 国内リーグでは 2024‑25 シーズンから試験的に「シンキングタイム・ライトダウン」が導入され、サーブ前 2 秒で照明を落とす演出が話題に。
- 米国 NCAA の女子 Final Four では同様の演出が SNS で 5000 万再生を記録し、世界的トレンドとなっている。
- クラップパターン進化と“コール&レスポンス” — 2025 年 VNL 福岡大会では、新しい 4 拍手シーケンスに加え、得点後すぐに「Nip‑pon!」と観客が二回応えるコール&レスポンス形式をテスト。音圧を測定した結果、従来比で 1.3 倍の盛り上がりを確認。
- さらに 2026 年アジア選手権では AR 演出と連動し、クラップのリズムに合わせて LED リストバンドの色が変化する仕組みを導入予定。
- ファン発信の多様化 — SNS でのリアルタイム応援が主流、現地会場は静かでもオンラインでは #VNLWatchParty が世界同時トレンド入りする現象も。観客が撮影した“サーブサイレンス”動画が YouTube Short でシリーズ化され、合計 8000 万再生を突破している。
- 一方で高齢層ファンの取り込みを狙い、公式サイトは“観戦しながら実況を聞く”シンプルモードを追加。アプリを使わなくてもブラウザで実況音声が聴けるよう工夫が進む。
- 地域ごとのカスタマイズ応援 — 北海道ラウンドでは「ドンドン・パッ」と和太鼓を取り入れた手拍子、沖縄ラウンドではエイサー太鼓を交えた掛け声など、開催地の文化を融合させる試みが JVA の地域連携施策として拡大中。
- 環境配慮とテクノロジーの融合 — 2027 年以降の国際大会ではペットボトル製スティックバルーンを廃止し、リサイクル素材の紙ファンやデジタルクラップアプリに切り替え。騒音計を活用して 100 dB を超えた場合に自動で場内アナウンスが入り、サーブ前の静寂を確保する“スマート応援”システムが実装予定。
おわりに
『そーれ』は日本バレーボールの大切な文化遺産である一方、競技スタイルや観戦マナーの変化とともに姿を消しつつあります。禁止されたわけではないものの、ジャンプサーブ全盛や DJ 主導の新しい応援との相性が悪く、今後のワールドクラスの大会で一斉コールが復活する見込みは残念ながら高くありません。
とはいえ、完全に“廃れた”わけでもありません。地方開催のVリーグや高校総体、さらには地域クラブの交流大会など、観客と選手との距離が近いアリーナでは今も稀に聞こえてきます。そうした温かいローカルシーンでの継承は、長年コートを見守ってきたベテランファンにとっては懐かしさと誇りを呼び覚ます瞬間であり、若い世代にとっては新鮮な体験になり得るでしょう。
仮に国際舞台で『そーれ』の大合唱が戻らなくても、そのスピリットは形を変えて生き続けるはずです。例えば、サーブ前に一拍置いて静寂を共有し、打点の瞬間に LED ブレスレットが一斉に光るといった“光のそーれ”は技術的にすぐ実現できます。あるいは、オンライン配信のコメント欄で「Sooore!」の文字エフェクトを流し、デジタル空間で一体感を作ることも可能でしょう。
観戦の際には、会場の雰囲気や運営ルールを尊重しつつ、歴史を大切にしながらも自分なりのスタイルで楽しんでみてください。声を合わせるもよし、手拍子に乗るもよし、静かにプレーに集中するもよし――バレーボールの魅力は多様な応援の中にこそ息づいています。次にアリーナへ足を運ぶとき、あなた自身の“新しいそーれ”を見つけてみてはいかがでしょうか。