伝統ある仙台七夕まつり。
仙台七夕まつり独特の七夕飾りが目を引きます。
ですがその七夕祭りを子供達にどのように教えますか?
歴史を教えても子供達にはピント来ないかもしれません。
子供にどう伝えるか、親や幼児教育の現場では悩む所です。
織姫とひこ星の物語にも色んな説があります。
あんまり出てこない羽衣の話を知っている人はどれだけいるでしょうか?
羽衣伝説においても京丹後、静岡の説もあります。
七夕の始まりや仙台祭りの由来、簡単に教える方法を考えて見ましょう。
・疑問点。
織姫とひこ星については、一年に一度二人が会える日だと言う事で十分ですが。
そもそもあの見事な飾りつけは何の意味があるのか?
笹の木に短冊を付けて軒先に飾るだけではないのは何故なのか?
昔から私自身も不思議に思っていたので調べて見ました。
・大きな特徴は大きなくす玉がついた吹き流し
このくす玉の考案者は、森天佑堂の主人、森権五郎さんという方でした。
ダリアの花に目を止めたこの方は、綺麗な京花紙を駕籠につけて二つの花かごを合わせくす玉を作り、綺麗に飾り付けました。
それが現代に伝わっています。
・短冊は習い事が上達を願って書くもの
・籠は飾りつけで出たゴミを無駄にしないと言う節約の心
・千羽鶴は不老長寿を願って。
・紙衣は織姫が織り神にささげたと言う由来によります。
紙衣は災いの身代わりになってくれるようにとの思いもあったようです。
ざっと調べると以上のように解りました。
飾り付けの意味は殆ど変わらないと思うのですが、戦後何とか気分を
盛り上げたいという職人たちの想いが飾りつけの技を競いあい、今の様な
形になっていったようです。
政宗公の時代から行われていた仙台七夕まつり。
しかし戦争など不景気が原因でまつりは廃れていきます。
昭和21年、一番通りの焼けた跡に52本の竹飾りが立ちました。
この時から復興を祈願した仙台の七夕祭りが本格的に勢いを
取り戻したのです。
職人たちの再興への想いは並々ならぬものがありました。
七夕だけど開催は8月、理由は∞にあった。
たなばたは普通は7月7日です。でも仙台では一ヶ月遅れで行われます。
その理由は暦によるものです。昔の暦で七夕は8月7日に当たります。
飾りつけは8月6日に行われ、その日から3日間、飾りつけのコンクールが行われ、そのまま今の形になっています。
震災から7年、2018年開催と今後に伝える大人の想いとは?
震災からもう7年が過ぎました。我が家、家族が失われた被害者の
方達の哀しみは忘れられるものでは無いでしょう。
生きていたら今は何歳になっていたのか、どんな人生を送っていたのか
言葉に出来ない思いがあると思います。
元々仙台七夕まつりは伊達政宗公の時代にはすでにあったとされています。
形を変えても仙台の七夕まつりは受け継がれて来ました。
七夕は全国各地からも応援メッセージが届けられています。
ちょっとでも元気を取り戻してもらいたい。
明日への活力になって欲しい。全国民がそう願っていると私は信じています。
【まとめ】
仙台の七夕まつりについてと、震災からの復興を願った七夕の飾りについて
書いて来ました。
・23年前、神戸、淡路で大震災がありました。
いつも通っている高速の橋脚が根元から倒れている。
あの風景や火事の映像。
「ここは神戸じゃないです」中継アナウンサーの声は震えていました。
相次ぐ余震、非常ベルの音。音。音。
もう23年経っているのに、たまにフラッシュバックのように
当時の想いが蘇って来て、体調を崩します。
ある医療ドラマで、震災当時の神戸と現在の神戸の様子の写真を見ました。
ここまで復興したのだと嬉しく思う反面、私もそうだけど心がついて
行かない。怖さが今でも残っています。
そんな人は今でも多いと聞いています。
東北の人達に伝えたい事は、苦しいのは自分達だけだと思わないで欲しい。
大震災だけじゃなく、噴火や水害等々。被害者は沢山います。
震災に遭ってみないと本当の想いは解らないのかもしれませんね。
その人達もみんな東北の人々を応援しています。
元々が再興祈願から始まったこの仙台七夕祭りです。
豪勢な仙台七夕まつり。今年はどんな風になるのでしょうか?
全国民が東北、仙台の方々を応援する3日間になるでしょう。